江戸時代から続く伝統と技術。

1865年(慶応元年)


創業者 中村善四郎が芝琴平町にて経師業を開業

中村表装株式会社の歴史がここから始まります。創業当初は現在の西新橋ではなく芝琴平町での営業でした。慶応元年(1865年)から2年後の1867年は大政奉還が起こった年であり、現在のような壁紙文化が日本に浸透していない時代です。開業当初の中村表装は主業務が壁紙ではなく障子・襖・額装・掛け軸等を作成する表具と呼ばれるものでした。

※経師とは書画の幅、屏風、襖などを表具する職人のこと


1890年 二代目へ事業継承

二代目 中村芳次郎

明治時代に大蔵省が印刷局の「金唐草」と呼ばれる美術壁紙を製造しています。しかしその後の大正の時代となってもまだまだ日本では『壁紙』が一般に普及しておらず、一般家庭の壁に壁紙が貼られるのはまだ先のこととなります。二代目の事業についても壁紙工事ではなく表具に特化していました。


1939年 三代目へ事業継承

三代目 中村勝

三代目の中村勝が事業を継承したのは日中戦争の真っ只中。徴兵制で戦地に赴くことになったため、事業は一時休業の形をとりました。日本の情勢がかなり厳しい時代でもあり、表具を生活の中で楽しむという時間も人々が持てなくなっていたいる時でもありました。


1945年 戦地からの三代目の帰還、現在地にて事業を再開

長い戦争が終わり、三代目の中村勝が無事に戦地より帰還しました。現在地の新橋にて、東京都配給の古材でバラックを建てて住居兼仕事場を確保、そこから事業再開の運びとなります。


1949年 合資会社中村表装店を設立

一枚の板に焼け残りからの消し墨で中村表装店の看板を作成しました。徐々に大口のお客様からのご依頼も増え、各取引先との信頼関係が構築されていきます。


1952年 職人育成のはじまり、初めてのお弟子さんが来る

終戦後に建てたバラックから木造二階建の住居兼仕事場へ新築。当時、職人の息子は他の店で修業をして、一人前になって帰るという習わしがあり、別の経師屋さんから住み込みで息子さんを預かったのが、今の中村表装における全寮制での職人育成の歴史のはじまりとも言えます。


1963年 戦後の復興期 二階建てから三階建てへ増築

終戦後、日本復興と共に業績も順調に上がり、三代目の元でお弟子さんも増えていきました。住み込みで多くのお弟子さんを預かるにも限界があり、三階建てへ増築し新たなお弟子さんを数多くお預かりしました。皆で日本復興の下支えの一端を担った時期です。


1970年 大きな転機 中村ビル建築を決意

令和元年の中村ビル

1969年に三代目の右腕であった実弟の中村輝夫が病を患い他界。この出来事もあり、三代目が沈んでいる気持ちに自身で喝を入れるためにも、戦後にバラックから始まり木造に建て替えた店を、ビルに建て替えることを決心しました。


1973年 合資会社から株式会社へ SRC5階建ての中村ビルが完成

この年に現在の中村表装株式会社が設立。また、1970年に決心したビル建替計画も進み、同年にビル竣工を迎えました。


1982年 江戸川社員寮の歴史のはじまり

同年に現在も語り継がれる赤坂のホテル火災があり、当時中村ビルの4階5階に職人が住み込んでいたが、火災等の万一の事態を懸念して、三代目の妻であり、後の四代目となる中村キヨの江戸川の血縁を頼りに、現在の社員寮がある江戸川区のアパートへと職人さんの住まいを移転。


1983年 江戸川の地に個室の社員寮を新築

江戸川内とはいえ、職人さんが同じ建物で生活できないのは、仕事を円滑に進める上で致命的であり、三代目と、すでに入社していた五代目とで会社所有の共同住宅型の社員寮を建築し、職人の育成を今後も継続していくことを決意。


1988年 三代目死去に伴い、四代目が代表取締役就任

四代目 中村キヨ(一番左)

戦後、中村表装を立て直した三代目が病に倒れ死去。妻である中村キヨが四代目として代表取締役に就任する。


1989年 四代目会長就任に伴い、五代目が代表取締役就任

五代目 前田光弘

生前に三代目より事業を託されていた五代目が、四代目より事業を継承。新たにスーパーゼネコンからエンドユーザーと得意先も幅広く構築、現在の中村表装の運営スタイルのはじまりの年です。


2022年 江戸川社員寮の建て替え

1983年に新築した社員寮を、時代の流れに合わせ完全独立型アパートの社員寮を新築。1952年に初めてのお弟子さんが来てから、実に70年が経過しており、今後もこの寮から多くの技術者が輩出されていくことを願います。